彦根藩(滋賀県)の藩主・井伊直中の十四男として生まれた。跡継ぎになる見こみはほとんどなかった。
彦根城下の小さな屋敷を「埋木舎」と名づけてくらした。ここで茶の湯や和歌、国学、居合などに打ちこみ、15年ほどを過ごした。
兄の藩主・直亮の跡継ぎが亡くなったため、思いがけず直亮の養子となり、跡継ぎとなった。
彦根藩主となり、藩の政治を整えた。茶人としても知られ、「一期一会」の言葉を広めたといわれる。
ペリーが来航すると、幕府に意見書を出し、外国との交易を開くべきだと主張した。
幕府の最高職である大老となった。天皇の許しを得ないまま日米修好通商条約に調印し、将軍の跡継ぎも紀州藩の徳川慶福(家茂)に決めた。
条約や跡継ぎに反対した大名や公家、武士たちをきびしく処罰した(安政の大獄)。吉田松陰や橋本左内らが処刑された。
条約にもとづき、横浜・長崎・箱館の港が開かれ、外国との貿易が始まった。
雪の朝、江戸城の桜田門の外で水戸藩などの浪士におそわれ、命を落とした(桜田門外の変)。この事件で幕府の力は大きく弱まった。
ペリー吉田松陰橋本左内井伊直政徳川斉昭川路聖謨山内容堂(豊信)松平春嶽(慶永)
横井小楠緒方洪庵堀田正睦佐久間象山鍋島直正(閑叟)吉田東洋島津久光岩瀬忠震
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。