何をした人?
江戸時代後期の伊予宇和島藩の藩主で、明治初期の政治家です。旗本の家に生まれて宇和島藩の跡継ぎとなり、高野長英らを招いて西洋の学問を取り入れ、日本人の手で蒸気船をつくらせました。「幕末の四賢侯」の一人とされ、明治政府では外交を担当し、日清修好条規を結びました。
| 名前 | 伊達宗城 |
|---|---|
| 生没年 | 1818年(文政元年) – 1892年(明治25年) |
| 時代 | 江戸末〜明治時代 |
| 出身地 | 江戸 |
| 主な業績 |
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大身の旗本・山口直勝の次男として江戸で生まれた。幼い名は亀三郎。祖父は宇和島藩主の伊達家から山口家に養子に入った人で、この血のつながりが、のちに宗城が宇和島藩を継ぐきっかけとなった。
男子に恵まれなかった宇和島藩主の伊達宗紀の養子となり、跡継ぎに決まった。宗紀は産業をおこす藩政改革を進めた藩主で、宗城はその姿から藩を治める心がまえを学んだ。のちに宗紀は長生きし、宗城の良き相談相手であり続けた。
養父の宗紀が隠居し、宇和島藩の8代藩主となった。養父の改革を受けつぎ、ろうそくの原料となる木蝋を藩の専売にしたり、石炭の埋まっている場所を調べさせたりして、殖産興業により藩の財政を立て直そうとした。
幕府に追われて江戸に隠れていた蘭学者の高野長英をひそかに宇和島に招き、西洋の兵学書を訳させた。のちには長州の村田蔵六(大村益次郎)も招いて、軍の近代化を進めた。追われる身の学者さえ迎えるほど、新しい知識を強く求めていた。
ペリーの来航後、村田蔵六に船の設計を、城下の提灯職人だった嘉蔵(のちの前原巧山)に蒸気機関の製作を命じた。藩を挙げての試行錯誤の末、外国人の技術者に頼らず、日本人だけの手で動く蒸気船を完成させた。
13代将軍の跡継ぎに一橋慶喜を推し、松平春嶽・山内容堂・島津斉彬とともに「四賢侯」と呼ばれた。しかし紀州の徳川慶福を推す大老井伊直弼に敗れ、安政の大獄の中で隠居と謹慎を命じられて、藩主の座を宗紀の子の宗徳にゆずった。
謹慎を解かれると、ふたたび国の政治にかかわるようになった。薩摩藩の行列がイギリス人を殺傷した生麦事件では、幕府が賠償金を払うことに反対した。一方で事件の当事者の島津久光とは親しく交わり、朝廷と幕府が協力する公武合体を進めた。
この年の暮れ、朝廷が有力な大名を集めて国の方針を話し合わせる参預会議に加わり、徳川慶喜・松平春嶽・島津久光らと席を並べた。しかし開港をめぐる意見の違いなどからまとまらず、会議は短い期間で終わってしまった。
イギリス公使パークスが軍艦で宇和島を訪れると、自らお忍びで艦を訪ね、上陸した一行を和風の宴でもてなした。同じ年には外交官アーネスト・サトウとも日本の将来について語り合い、外国人とも積極的に交わった。
島津久光・松平春嶽・山内容堂とともに四侯会議に参加し、将軍慶喜と国の重要な問題を話し合ったが、意見の対立が解けず失敗に終わった。この年の暮れ、王政復古によって新政府が生まれると、その中心となる議定の一人に選ばれた。
新政府で民部卿と大蔵卿を兼ね、国の財政や民政を担った。鉄道を敷くための資金をイギリスから借りる話をまとめるなど、新しい国づくりにかかわった。戊辰戦争のころには、薩摩・長州のやり方に不満を示して役を辞めたこともあった。
全権大臣として清国に渡り、清の李鴻章との間で日清修好条規に調印した。日本と清がおたがいに対等な立場で結んだ初めての条約だった。この仕事を最後に、宗城は政府の第一線から身を引いた。
東京の屋敷で病のため亡くなった。この年、かつての家臣で司法官の児島惟謙に辞職を勧める役を頼まれたが、実際には会わず、逆に児島に留任を促す手紙を送ったと伝わる。かつての家臣を思いやる人柄がうかがえる逸話である。
A. 江戸時代後期の伊予宇和島藩の藩主で、明治初期の政治家です。旗本の家に生まれて宇和島藩の跡継ぎとなり、高野長英らを招いて西洋の学問を取り入れ、日本人の手で蒸気船をつくらせました。「幕末の四賢侯」の一人とされ、明治政府では外交を担当し、日清修好条規を結びました。
A. 江戸末〜明治時代の人物です。1818年(文政元年)に生まれ、1892年(明治25年)に亡くなりました。
A. 伊達宗城は江戸の生まれです。
A. 幕末に国の進む道について意見を述べ、政治に大きな影響を与えた4人の大名のことで、越前福井藩の松平春嶽、土佐藩の山内容堂、薩摩藩の島津斉彬、そして宇和島藩の伊達宗城を指します。斉彬の死後は島津久光を加えて数えることもあります。
参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata
この人の一生をたどる(自動再生)ペリー高野長英島津斉彬井伊直弼島津久光大村益次郎徳川慶喜山内容堂(豊信)
吉田東洋河竹黙阿弥島津久光岩瀬忠震阿部正弘勝海舟大村益次郎ジョン万次郎
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