何をした人?
戦国時代から江戸時代初めの女性で、加賀藩の祖となった前田利家の妻です。名はまつ。夫を支えて前田家の発展に尽くし、利家の死後は前田家を守るため自ら江戸へ人質として下りました。14年余りを江戸で過ごし、加賀百万石の基礎を固めることに貢献しました。
| 名前 | 芳春院(まつ) |
|---|---|
| 生没年 | 1547年(天文16年) – 1617年(元和3年) |
| 時代 | 戦国〜江戸時代 |
| 出身地 | 尾張国(現在の愛知県) |
| 別名 | まつ、お松の方 |
| 主な業績 |
|
織田氏の家臣篠原一計の娘として、尾張国海東郡(今の愛知県あま市)に生まれた。名はまつ。母は前田利家の母の姉であり、のちに夫となる利家とはいとこどうしの関係にあたる。学問や武芸に通じた女性だったと伝わる。
父の一計が亡くなり、母は斯波氏の家臣と再婚した。そのため、まつは母の妹が嫁いでいた荒子城主の前田利昌に引き取られて育てられた。利昌の四男が利家であり、まつは幼いころから利家とともに暮らすことになった。
まだ少女といえる年で、いとこの前田利家に嫁いだ。利家は織田信長に仕える若い武士で、槍の名手として知られた。のちに豊臣秀吉の妻となるねね(おね)とは近所に住んで親しく、二人の結婚の仲立ちをしたとも伝わる。
長女の幸を産んだ。この年、利家は信長の怒りを買って織田家を離れ、浪人として苦しい日々を送ったが、まつは家を支えた。その後も約20年の間に2男9女を産み、子どもたちは各地の大名家などと結ばれていった。
長男の利長が生まれた。利長はのちに父の跡を継ぎ、加賀藩の初代藩主となる。利家はこのころまでに信長に許されて織田家に戻っており、戦いで手柄を重ねて、前田家は次第に勢いを取り戻していった。
四女の豪姫が生まれた。子どものいなかった羽柴秀吉とねね夫妻のため、まつは豪姫を幼いうちに養女として託した。豪姫は秀吉夫妻にかわいがられ、のちに宇喜多秀家の妻となる。まつとねねの深い信頼がうかがえる話である。
賤ヶ岳の戦いで柴田勝家の側についていた利家は、戦場から越前府中城へ退いた。勝った秀吉が府中城を訪れると、まつは秀吉と会って和議を講じ、前田家の危機を救ったと伝わる。以後、前田家は秀吉の重臣となった。
佐々成政が前田方の末森城を攻めた。出陣をためらう利家に、まつは日ごろ金銀をためてばかりで兵を十分に養わなかったことをいさめ、「金銀に槍を持たせて戦わせよ」と言ったと伝わる。利家は奮起して城を救った。
秀吉が京都の醍醐寺で開いた盛大な花見に、秀吉の妻たちとともに招かれた。利家が秀吉の子秀頼の守り役となったことから、まつも秀頼を育てる立場にあり、主な客の一人として扱われた。この年、秀吉が亡くなった。
夫の利家が病のため亡くなった。まつは髪をおろして尼となり、芳春院と名乗った。前田家は長男の利長が継いだが、秀吉と利家という重しを失った豊臣政権の中では、徳川家康の力が急速に強まっていった。
前田家が徳川家康から謀反を疑われると、戦うべきだと主張する利長をなだめ、疑いを晴らすため自ら人質となって江戸へ下った。これにより前田家は戦いを避けて生き残った。大名の妻子が江戸に住む仕組みの最初の例とされる。
江戸での人質生活は14年に及んだ。その間、関ヶ原の戦いで西軍についた次男利政の許しを幕府に願うなど、前田家のために力を尽くしたが、願いはかなわなかった。この年、長男利長が亡くなり、ようやく金沢へ帰ることを許された。
金沢城の中で亡くなった。墓は金沢市の野田山墓地にあり、京都の大徳寺芳春院にも分骨された。夫を支え、人質となって家を守った姿は、のちに「加賀百万石」を築いた妻として、ドラマなどで広く知られるようになった。
A. 戦国時代から江戸時代初めの女性で、加賀藩の祖となった前田利家の妻です。名はまつ。夫を支えて前田家の発展に尽くし、利家の死後は前田家を守るため自ら江戸へ人質として下りました。14年余りを江戸で過ごし、加賀百万石の基礎を固めることに貢献しました。
A. 戦国〜江戸時代の人物です。1547年(天文16年)に生まれ、1617年(元和3年)に亡くなりました。
A. 芳春院(まつ)は尾張国(現在の愛知県)の生まれです。
A. 利家の死後、前田家は徳川家康から謀反を疑われました。芳春院は家を守るため、自ら人質として江戸へ下ることを決め、家康との争いを避けて前田家の存続を確かなものにしました。
参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata
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