日本史人生シミュレーター

浅野長政

秀吉の義弟で豊臣政権の五奉行
時代:安土桃山〜江戸時代 / 1547年〜1611年(64歳ほど)
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歩んだ道

1547年

尾張に生まれる

尾張国春日井郡北野で、宮後城主・安井重継の子として生まれた。初めの名は長吉で、長政と名乗るのは晩年になってからである。のちに、織田信長の弓衆を務める叔父・浅野長勝に男子がいなかったため、その娘ややの婿養子として浅野家に迎えられ、家を継いだ。

1561年

秀吉と義理の兄弟に

叔父長勝の養女となっていたねねが、木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)に嫁いだ。長吉と秀吉は同じ舅をもつ義理の兄弟となり、秀吉にもっとも近い親族の一人となった。この縁から、長吉は信長の命で秀吉の配下に付けられ、以後その出世を支えていく。

1573年

小谷攻めで活躍

浅井長政が守る近江の小谷城攻めで手柄を立てた。秀吉が小谷城主となると、長吉も近江で百二十石の領地を与えられた。わずかな石高ではあったが、秀吉の家臣団の中核として歩み始めた。のちに播磨の三木城攻めでは、城主別所長治との降伏の交渉にも関わった。

1583年

大名に出世する

本能寺の変のあとは秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いで手柄を立てた。その功で近江の甲賀や大津に二万石あまりを与えられて大名となり、瀬田城、次いで坂本城に入った。琵琶湖の水運の要所を任されたことは、秀吉の深い信頼を示している。

1584年

京都の奉行となる

京都を治める奉行に任じられ、のちに豊臣政権の五奉行の一人となった。すぐれた行政の腕を買われ、秀吉の命令で太閤検地を各地で実施した。また大名から取り上げた金山や銀山の管理も任され、武勇よりも政治と財政の手腕で豊臣政権を支える存在となった。

1586年

朝日姫を送り大津城を築く

秀吉の妹・朝日姫が徳川家康の正室として嫁ぐことになり、長吉は浜松まで付き添った。家康を味方につけるための大切な縁組であった。また秀吉の命で坂本城を廃し、琵琶湖のほとりに新たに大津城を築いた。翌年までに本拠を大津に移したとみられている。

1587年

若狭の国持ち大名に

九州平定に従軍して働いたのち、若狭国一国、八万石あまりを与えられ、国を丸ごと治める大名となった。翌年には自らの領地で検地を行い、その翌年には刀狩を実施した。秀吉の政策を自分の領国で率先して進め、新しい支配の手本を示した。

1590年

小田原と奥州仕置

小田原征伐では、家康の家臣がかけた舟橋を秀吉が用心して渡らなかったとき、長吉が先に渡って安全を示したと伝わる。戦いの後半から戦後処理では石田三成に代わって中心となり、続く奥州仕置では実行役として東北の大名たちの処分や一揆への対処を担った。

1593年

甲斐を与えられる

秀吉は長吉に甲斐国の五万石あまりを、子の幸長に十六万石を与え、伊達氏や南部氏など東国の大名たちとの取り次ぎを命じた。これは関東の徳川家康を抑える役目だったと考えられている。長吉自身は奉行として秀吉のそばにとどまり、甲斐の統治は幸長が担った。

1596年

疑いを晴らす

前年の秀次事件に関わったと告げ口され、子の幸長とともに秀吉から重い処分を受けかけたが、徳川家康と前田利家のとりなしで調べ直され、元家臣の偽の書状が原因と分かったと宣教師の報告に記されている。この年の伏見の大地震では、すぐに秀吉のもとへ駆けつけた。

1599年

隠居して府中へ

秀吉の死後、石田三成との対立が深まったと宣教師の記録は伝える。この年、徳川家康の暗殺をくわだてたという疑いをかけられ、甲府での謹慎を命じられた。長政は家督を子の幸長に譲り、武蔵国の府中に隠居した。府中には隠れ住んだ地と伝わる場所が残っている。

1600年

関ヶ原で東軍に

関ヶ原の戦いでは家康の東軍につき、江戸城の留守を守る役を務めた。かつて豊臣政権の中心にいた奉行が家康の側に立ったことは、時代の流れを示している。子の幸長は本戦で手柄を立て、紀伊国和歌山の三十七万石あまりの大名へと大きく出世した。

1606年

真壁藩を開く

関ヶ原での働きが認められ、常陸国真壁に五万石を与えられて真壁藩の初代藩主となった。前年には江戸へ移っており、江戸幕府が開かれたあとは家康の近くに仕えた。豊臣家の重臣から徳川家に仕える大名へと、時代の変化に合わせて家を保った。

1611年

真壁で亡くなる

常陸国真壁の陣屋で亡くなった。遺体は高野山の悉地院に納められ、真壁五万石は四男の長重が継いだ。秀吉の義弟として豊臣政権の政治と財政を支え、最後は徳川の世に家を残した生涯であった。浅野家は子孫が広島藩主となり、江戸時代を通じて続いた。

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