日本史人生シミュレーター

ねね(高台院)

豊臣秀吉の妻(北政所)
時代:安土桃山〜江戸時代 / 1548年〜1624年(76歳ほど)
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歩んだ道

1548年

誕生

尾張の武士・杉原家に生まれ、のちに浅野家の養女となった(生年は諸説あり)。

1561年

秀吉と結婚

まだ身分の低かった木下藤吉郎(豊臣秀吉)と結婚した。当時めずらしい、本人どうしの思いによる結婚だったと伝わる。

1573年

若い家臣を育てる

このころ、秀吉が長浜城主になると城をあずかった。子どもはいなかったが、加藤清正や福島正則など若い家臣を母のように育てた。

1576年

信長の手紙

このころ、織田信長から手紙をもらった。秀吉の浮気をなげくねねを、信長がはげまし、秀吉を「はげねずみ」と書いた手紙が残っている。

1585年

北政所

秀吉が関白になると、「北政所」とよばれるようになった。朝廷や大名との交わりを取りしきり、豊臣政権を内側から支えた。

1598年

秀吉の死

秀吉が亡くなった。翌年、大坂城を出て京都に移り、秀頼と淀殿に大坂城をゆずった。

1603年

高台院となる

出家して高台院と名のった。徳川家康とも良い関係を保った。

1606年

高台寺

秀吉の菩提をとむらうため、家康の助けを受けて京都に高台寺を建てた。

1615年

豊臣家の滅亡

大坂夏の陣で秀頼と淀殿が亡くなり、豊臣家はほろんだ。ねねは京都で静かにその知らせを受けとめた。

1624年

最期

京都で亡くなった。秀吉をささえ続けた、かしこく情の深い女性として語り継がれている。

この時代に起きたこと

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関係する人物

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