日本史人生シミュレーター

徳川家定

江戸幕府の13代将軍
時代:江戸時代末(幕末) / 1824年〜1858年(34歳ほど)

何をした人?
江戸時代末期の第13代将軍です。病弱とされ、将軍継嗣問題や安政の大獄前夜の政局のなかにありました。日米修好通商条約調印前後の時期に職にあり、短期間で亡くなりました。

プロフィール

名前徳川家定
生没年1824年(文政7年) – 1858年(安政5年)
時代江戸時代末(幕末)
出身地江戸
主な業績
  • 将軍職を継ぐ(1853年)
  • 継嗣問題(慶福か一橋慶喜か)
  • 日米修好通商条約期の将軍
  • 短期間で亡くなる(1858年)
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歩んだ道

1824年

家慶の子として生まれる

第12代将軍徳川家慶の四男として江戸城西の丸で生まれた。兄たちが早世したため、成人した男子は家定だけとなった。幼少から病弱で、健康に不安を抱えながら育てられたと伝わる。

1837年

将軍継嗣に定められる

父家慶が将軍になると、病弱ながらも継嗣として立てられた。西の丸で将来の将軍としての教育を受けたが、公式の場に出ることは少なかったといわれる。幕閣は健康を案じつつ後継体制を整えた。

1853年

13代将軍に就任する

父家慶の死去を受け、13代将軍となった。ペリー来航直後の危機の中での就任だった。病弱な将軍のもと、実際の交渉や決断は老中や大老に委ねられることが多かった。このときの経験が、のちの行動にも影響したと伝えられる。

1854年

日米和親条約の締結

アメリカとの日米和親条約が結ばれ、下田・箱館などが開港した。家定の名で条約は進められたが、本人が細部を主導したわけではない。鎖国体制は大きく崩れ始めた。このときの経験が、のちの行動にも影響したと伝えられる。

1856年

篤姫を御台所に迎える

島津斉彬の養女・篤姫(天璋院)を御台所として迎えた。薩摩との結びつきを強める意味もあった。将軍家の権威を支える縁組として注目されたが、家定の健康不安は続いた。このときの経験が、のちの行動にも影響したと伝えられる。

1857年

将軍継嗣問題が激化する

家定に後継となる子がなく、次の将軍をだれにするかで将軍継嗣問題が激しく争われた。一橋慶喜を推す勢力と、紀州の徳川慶福(家茂)を推す南紀派が対立し、政局は大きく揺れた。

1858年

井伊直弼が大老となる

彦根藩主の井伊直弼が大老に就任し、南紀派寄りの方針を強めた。条約の勅許なし調印や反対派の弾圧など、強権的な政治が始まる直前だった。病床の家定のもとで幕閣の力関係が変わった。

1858年

日米修好通商条約

アメリカとの日米修好通商条約など安政の五か国条約が結ばれた。開港と貿易の拡大は国内に大きな議論を呼んだ。家定の名で進められた条約は、のちの政争の火種にもなった。

1858年

継嗣を家茂と定める

次の将軍は紀州の徳川慶福(のちの家茂)と定められた。一橋派の願いは退けられ、南紀派が勝利した形となった。決定の直後、家定の病状はさらに重くなった。このときの経験が、のちの行動にも影響したと伝えられる。

1858年

江戸城で亡くなる

江戸城で病のため亡くなった。享年三十四。在位は短く、条約と継嗣問題の渦中での死だった。跡を継いだ家茂と大老井伊直弼のもと、幕末の政治はさらに激しく動いていく。このときの経験が、のちの行動にも影響したと伝えられる。

この時代に起きたこと

よくある質問

Q. 徳川家定は何をした人ですか?

A. 江戸時代末期の第13代将軍です。病弱とされ、将軍継嗣問題や安政の大獄前夜の政局のなかにありました。日米修好通商条約調印前後の時期に職にあり、短期間で亡くなりました。

Q. 徳川家定はいつの時代の人ですか?

A. 江戸時代末(幕末)の人物です。1824年(文政7年)に生まれ、1858年(安政5年)に亡くなりました。

Q. 徳川家定の出身地はどこですか?

A. 徳川家定は江戸の生まれです。

Q. 徳川家定の継嗣問題とは何ですか?

A. 次の将軍を紀州の慶福とするか、一橋慶喜とするかで大奥・譜代と雄藩の意見が分かれ、政局が揺れた出来事です。家定の死後、慶福(家茂)が将軍となりました。

参考:Wikipedia (ja) / Wikipedia (en) / Wikipedia (fr) / Wikipedia (zh) / Wikidata

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