美濃(岐阜県)に生まれた。名は重然で、のちの官名から織部とよばれた。
このころ、織田信長に仕え、使者などの役目をつとめた。
本能寺の変のあと、豊臣秀吉に仕えた。千利休に茶の湯を学び、すぐれた弟子の一人となった。
秀吉から「織部正」という官名をあたえられ、山城に領地をもつ大名となった。
師の利休が秀吉に切腹を命じられ、堺に向かうことになった。秀吉をはばかる人が多い中、細川忠興とともに淀の船着き場で利休を見送ったと伝わる。
このころ、利休の後をつぐ茶人として名を高めた。形をわざとゆがめた大胆な茶碗など、自由な美しさを好み、その好みは「織部焼」として広まった。
2代将軍徳川秀忠に茶の湯を教えた。大名たちも多く織部に茶を学んだ。
大坂夏の陣のさなか、家臣が豊臣方と通じて京都に火をつけようとしたとされ、織部も疑われた。切腹を命じられ、言いわけをせずに自ら命を絶った。
豊臣秀長九鬼嘉隆徳川家康狩野永徳竹中重治(半兵衛)浅井長政黒田孝高(官兵衛)武田勝頼
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。