12代将軍足利義晴の次男として生まれた。跡継ぎではなかったため、奈良の興福寺に入って僧となった。
兄の13代将軍義輝が殺され(永禄の変)、義昭も見張られた。細川藤孝らの助けで奈良を脱出し、将軍になるため各地の大名に助けを求めた。
越前の朝倉義景をたよったが、朝倉氏はなかなか動かなかった。
織田信長に支えられて京都に上り、15代将軍となった。信長に感謝し「父」とよぶほどだったと伝わる。
信長が将軍の行動をしばる決まりを出し、二人の仲は悪くなった。義昭は各地の大名に手紙を送り、信長包囲網づくりを進めた。
武田信玄の死後、槇島城で兵をあげたが敗れ、京都から追放された。これにより室町幕府は事実上ほろんだ。
備後の鞆(広島県福山市)に移り、毛利氏の保護を受けた。将軍の名はもったまま、なおも信長を倒すよう大名たちに呼びかけ続けた。
豊臣秀吉の天下となったあと京都にもどり、将軍をやめて出家した。秀吉から領地をあたえられ、話し相手としてそばに仕えた。
大坂で病気のため亡くなった。室町幕府最後の将軍だった。
武田信玄朝倉義景織田信長柴田勝家明智光秀細川幽斎(藤孝)浅井長政毛利輝元
島津義弘丹羽長秀足利義輝豊臣秀吉前田利家北条氏政足利義栄今川氏真
教科書や伝記で確かめられる事実をもとにしています。不確かなことは「諸説あり」「と伝わる」としています。